Lunch in Omote Sando|表参道で哲学をしてみる

こんにちは(^^
世界を旅するコミュニケーター、英語コーチの藍子です。
今日はちょっと長くなっちゃったよ〜(^^;

I had a pleasure of visiting an exquisite Japanese restaurant with a good acquaintance of mine the other day. Although it was on Omotesando Street and the entrance was wide open, it was somewhat hidden and hard to notice that there was a restaurant. It reminded me of a gallery or a private museum than a restaurant. 先日、よくしていただいている知人と素敵な和食レストランへ行ってきました。表参道沿いにあって入り口も大きく開いているのに、ちょっと隠れ家的でそこにレストランがあるとはわからない入り口。レストランと言うより、ギャラリーや私立の美術館のようでした。

店内はこんな感じ
お店からの眺め♪

During the meal, we got to talk about architectures, designs, businesses, creation processes etc. in relationship with the difference between Japan and the west. Then, the topic shifted to perspectives. Western architecture has the center of focus with a perspective and often symmetry, whereas Japanese architecture tends to have a asymmetry design and the center of focus, if any, is somewhat off balance. Western paintings has a clear perspective which is the foundation of western art, yet Japanese picture scrolls seem to continue forever without one specific perspective.  お食事の間、日本と西洋の文化の差に絡めて建築やデザイン、ビジネス、創造のプロセスの話などをしていて、視点の話に。西洋建築では視点と焦点がはっきりしていて左右対称なのに対し、日本の建築は非対称でもし焦点があったとしても微妙にずらしてある。西洋絵画も明確な視点がありそれが美術の基礎になっているのだけれども、日本の絵巻物などを見ると特定の視点があるわけでもなく永遠と続くように見える。

Then I realized. Languages too. In western languages, it is necessary to say the subjects such as “I” or “you.” Even if it is ambiguous, we still use “it” or “one.” On the contrary Japanese does not use subjects in most cases as they are understood by the context, or so explained in grammar books. These subjects are the perspectives. そこまで聞いて思ったのですね。言語も同じだと。西洋の言語では「I」や「you」などの主語を必ず述べなければいけなくて、曖昧な時ですら「it」や「one」を使って、とりあえずでも主語を置きます。一方、日本語は多くの場合主語を言わないのです。これは文脈から理解されるから。そう文法書には説明がなされています。この主語が視点そのものなんですね。

Now I question. Is it really that we Japanese imply subjects which are understood in the context or we simply don’t use them? In the metaphysical field, we often say that there is no “I” nor “you,” and the other person as well as the whole world are a mere reflection of you; they are you in essence. If Japanese language manages to capture and express the essence of the state of this universe, isn’t it an amazing language we have? ここまで考えて思いました。日本語って、本当に文脈から理解されうる主語が示唆されているのか、それとも主語そのものがないのででは?形而上学の世界では、「私」も「あなた」も実は存在していなくて、相手の人やそれこそこの世界そのものは単に私たち個人の投影なんだと。つまり、周りにいる人たちはみんな私なんですね。もし、日本語という言語、この宇宙の状態の本質を見事に捉えて表現している言語だとしたら、ものすごい言語を私たちは日々使っているのではないでしょうか。

“Je pense donc je suis.” (I think, therefore I am.) is the word by Descartes in French and of course it has “je, I.” It seems it only talks about Descartes himself, but what if this were to be in Japanese without any subjects. Does that mean “the universe thinks, therefore it exists?” 「我思う、故に我あり」とはデカルトの言葉で、もちろんフランス語では「我」に相当する「je」英語では「I」が使われています。この文は一見デカルト自身について話しているように見えますが、もしこれが日本語で書かれた文章で、主語がなかったら?「宇宙は考えて、故に存在する」に成るのかしら?

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pleasure:喜び
exquisite:素敵な、素晴らしい
acquaintance:知人
although…:〜にもかかわらず
somewhat:いくらか
hidden:隠れている
notice:気がつく
reminded me of…:〜を思い起こさせる

during…:〜中
meal:食事
got to talk about…:〜の話になった
architectures:建築
creation processes:創造のプロセス
in relationship with…:〜にからめて
shifted to…:〜に方向性がシフトした
perspectives:視点
the center of focus:焦点
symmetry / asymmetry:対象、非対称
Whereas…:〜である一方
tends to…:〜の傾向がある
somewhat off balance:いくらかバランズが外してある
paintings:絵画
foundation:基礎
yet:しかし、一方
Japanese picture scrolls:日本の絵巻物
seem to…:〜のようだ
continue :続く
forever:永遠に
without one specific perspective:一つの特定の視点

it is necessary to:〜する必要がある
subjects:主語
such as:〜のような(例をあげる時に使います)
even if:〜だとしても
ambiguous:曖昧
still:それでもまだ
on the contrary:反対に
in most cases:ほとんどの場合
as:〜なので
context:文脈
explained:説明される

I question:疑問を持つ。
Is it really that:本当に〜なの?
imply:示唆する
metaphysical field:形而上学の分野では
as well as:〜と同様に
the whole world:この世界すべて
a mere reflection:mereは単なる、単なる投影
in essence:本質は
manages to:なんとかして〜する
capture:つかむ
express:表現する
state:状態

therefore:ゆえに
seems:〜のように見える
Descartes himself:デカルテ自身
what if:もし〜だったらどうなんだろう?
universe:宇宙
exists:存在する

Dinner with a girl friend of mine|女友達とディナー♪

こんにちは(^^
世界を旅するコミュニケーター、英語コーチの藍子です。

Went to a nice Japanese restaurant in Nakameguro with a good girl friend of mine. We met last year through Facebook and also my blog but we are like long term friends. We both had lived in North America for a while and it is kind of nice that we can laugh about one of the very luxurious buildings in the proximity which resembles a family style hotel chain in NA. I know it is silly but something that makes your day.  中目黒の素敵な和食のお店に、女友達と晩ご飯に行ってきました。彼女と出会ったのは去年、フェイスブックと私のブログを通してなのですが、いつの間にか長年の友人のよう。お互い北米にしばらく住んでいたことがあって、近くの超高級マンションのひとつが北米のファミリースタイルのホテルチェーンそっくりだという話で笑えるのがなんだかいい。特別なことじゃないんです。でもそういうのが日々の中の幸せだったりしませんか?

Of course, the food was excellent: a very nice Japanese food with lots of vegetables. We all need veggies. もちろんご飯もおいしかった♪野菜をふんだんに使った和食。みんな野菜食べなきゃね(^^

By the way, I always wonder, why don’t we differentiate “a girlfriend” as in a female friend and “a girlfriend” as in a boyfriend-girlfriend situation in English… but then again, the word “Kanojo” in Japanese means both “a girlfriend (vs a boyfriend)” and “she” so… I am not sure which is more complicated. ところで、いつも疑問に思っていたのですが、なんで英語では女友達の「girlfriend」と彼氏彼女の状況で使う「girlfriend」と区別しないのでしょうね・・・ま、でも、日本語の「彼女」は英語の「girlfriend (ボーイフレンドの反対)」と「she」の意味があるか・・・どっちの方がややこしいか、わからなくなってきた(笑)

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good girl friend:良き女友達
a friend of mine:友達のうちの一人(人数を気にする言語の英語。「I met my friend.」というと「友達がたった一人しかいなくて、その子に会ってきた」という印象になるので、「I met a friend of mine.」というと「友達は複数いるんだけれども、そのうちの一人に会ってきた」という表現になる。別に友達が何人いるかは話題に上っていないのだかが、後者が普通になっているので、前者はやっぱりちょっと違和感なんだって。)
met:(meetの過去形)会った
through Facebook:Facebookを通して(ドライブスルーのスルー)
are like:〜のようだ(are/is/am のような be動詞と一緒にlikeを使った場合は、「好き」という意味はなくなって、「〜のようだ」という意味になります)
long term friends:長い付き合いの友人(複数形)
both:両方とも、二人とも
had lived in:(過去完了形・経験)〜に住んだことがある
North America:北米
for a while:しばらくの間
kind of nice:ちょっと素敵
laugh:笑う
luxurious:ラグジュアリーな、高級な
in the proximity:近所の、近くの
resemble:似ている
NA:北米(省略)
silly:おばかな、つまらない、たいしたことない
(It is) something that makes your day.:makes your dayは、直訳が「あなたの日を作る」で意訳が「あなたの日を特別なものにしてくれる」

of course:もちろん
vegetables:(複数形)野菜
veggies:(複数形)上記の野菜の単語の省略形

by the way:ところで
always:常に、いつも
wonder:疑問に思っていた
why don’t we :なんで〜しないのかしら?
differentiate:区別をする
girlfriend :女友達、彼女
as in :〜という意味の
female friend:女の友達
but then again:でも、しかし、
the word “Kanojo”:「彼女」という言葉
means:意味する
I am not sure:よくわからない
which:どちらが
complicated:複雑な、ややこしい

花冷えと言語と世界観

こんにちは!
世界を旅するコミュニケーター、英語コーチの藍子です(^^

東京で桜の開花宣言があったと思ったら、真冬のような季節に戻り(^^;
行きつけの大好きなレストランのオーナーさんと
昨晩お話をしていたら、
「こういう天気をね、花冷えっていうんだよね。
本当に日本語はよくできているよ」
と教えてくださいました。

毎日の中の一つ一つの小さな事象に名前をつけて、
それを愛でる文化ってやっぱり素敵だなぁ。
日本人であるという幸せを噛み締めたひと時でした。

言語って、文化と切っても切れないものがあるのです。
だって、世界の一部を切り取って、そこに名前をつける。
それが言葉になり、その組み合わせで言語ができていく。

言葉では到底表現できないようなこの世界を
なんとた伝えようと、ありとあらゆる表現や言語ができてくる。

その中で、世界のどこをどう切り取るのか、
そしてそれにどんな名前をつけるのか、
その一つ一つに、その言葉を話している人が
どのようにモノを見て、感じているのかが
滲み出してしまうのですね。

桜が咲いて、そしてそのあとすぐ冷え込んでという、
時期もタイミングも本当に短いこの瞬間を切り取って
そこに「花冷え」という名前をつけた日本人の感性。
素敵だなと思います。

最近、とみに思うこと。
私は英語が好きというより、コミュニケーションが好き。
人とお話をすることが好きなんです。

私たち同じ世界に住んでいるように見えて、
実は一人一人違う世界観を持っているんですよね。
人が違えば、モノの見方が違い、見ている世界と
究極のところ生きている世界が変わってくるのです。

人と話すことの何が面白いのかって、
話をすることで、その人の世界観が見えてくる。

そしてその方の世界を垣間見させていただくことで、
私の見ている世界がより多面的になってくると思うのです。
面白いなぁ。いいなぁ、言語。

やっぱり英語大好きだ♪

Have a good day!
Aiko